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仙台国分町は、東北地方を代表する繁華街であり、仙台の夜の顔でもあります。 |
国分町通りを背景としてこの地区には、おおよそ3000軒の飲食店が集積しているといわれます。 |
昼間は連日一番町の買い物客に駐車場を提供し、夜間は繁華街の顔として、さまざまな役割を与えられています。 |
現在国分町は、かつての限られた客層だけでなく、若者や女性客といった広い客層で賑わう街に変わりつつあります。 |
これからは歴史ある繁華街としての新しいまちづくりを考え、実現していくことが国分町のテーマなのです。 |
国分町の歴史 |
| 昔、仙台地方には早くから木の下の地方に国分寺が置かれ、また国分氏がこの地を領有していたので、今の仙台地方一帯を国分荘と呼んだ。 |
伊達政宗が仙台に移り、大町・肴町・南町・立町などの御譜代町がそれぞれの地に置かれた際、その頃まで国分氏に従い、木の下付近に住んでいた町人などを芭蕉の辻から北へ置いた。これが今の国分町である。 |
かつて国分荘に住み、国分氏に属した人々によって成立した町なので国分町と称した。仙台地方では国分町を「こっぽんまち」と呼んだ。 |
その後この町に豪商が住み込み、商業はもとより交通経済上重きを置かれた街となった。時代により変わったが、主な豪商には、呉服問屋、味噌問屋薬種商、物商、本屋など実力のある商人がいたようである。今の飲食業で栄える国分町は、昔の豪商の末裔によるものではないか。 |
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